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お金はないけれど、貴重な経験や素敵な方達と巡り合うことが出来ました。これは私の財産です。

子供や主人は勿論ですが、バレーボールの恩師や、同志たち。
今、一緒に仕事をしている仲間、ヨガを一緒に勉強している仲間などなど。
その中でも、今ではもう近くにいらっしゃらない大切な仲間を紹介させて頂きます。

近くにいる人や身内をまじまじと紹介すると恥かしいでしょう?σ(^_^;)ナハハ

「雅子さん(享年55歳)」を見る
「セリンジャーさん(現在イスラエル在住)」を見る
「スイートホーム」を見る
 

雅子さん(享年55歳)

三歳の時に出会った、エンジェル。
私の一生の宝物。
まさこ姉ちゃん(享年55歳)
私が住んでいた隣の家(お寺さん)にお嫁に来られた、綺麗な優しいまさこ姉ちゃん。
心からありがとう。
感謝の思いを貴女に捧げます。

貴女との出会い☆偶然ではい、必然的な出会い。私が生まれる前から選んだ出会いだった☆
彼女との出会いは私にとって人間形成のルーツとなる大切な出会いでした。血のつながりはないものの、何故か身近に感じ、20歳という年のギャップも感じない、私にとって大切な理解者でした。
見えないけれど、心では通じあっていたような、そんな感じがしています。

それを確信したのは、彼女が亡くなってからでした。

死という突然の別れ

200x年4月

夢の中に彼女が出てきて、珍しく怒っている。
何かに向かって怒鳴っている。
(ん?珍しい?と、いうか怒った所、見たことがないぞ??)
朝、目が覚めて直ぐに妹にメールした。
『まさこ姉ちゃん、元気かな?時間があったら顔を見に行ってね』

その日の夕方、妹から電話。
『まさこ姉ちゃん、亡くなったって・・・』

『うそだ・・・』

直ぐに故郷へ向かう。

彼女は『人を愛し、花を愛した人』でした。もしかしたら、人ではなく天女だったのかも知れません。
派手なところはなく、常に人知れず、わけへだてなく、誰にでも惜しみない愛情を注がれる方でした。
身体障害者の支援活動もされていて多くの方の相談役でした。
(お葬式に来られていた方や人数を見て私がまだ知らなかった本当の彼女の偉大さを知った瞬間でした)
自分の事だけではなくみんなの為に・・・
今でも覚えています。

私がまだ5歳の頃でした。
お寺の本堂で彼女と仏様の前に座り、拝んでいた時の話です。

「あーちゃん、自分の事だけじゃなくて、お父さん、お母さん、お姉ちゃん、お兄ちゃん、淳ちゃん、みんなの分、お祈りしようね。皆が元気で幸せになれますようにって」
彼女に言われるまま、お線香もそれぞれ、1本ずつ立てたのも印象的でした。
真面目な話の中にも遊び心があるのです。
私は自分の事で一生懸命でしたが、他人を思う気持ちを彼女から学びました。

私が自分で自分の事をスピリチュアル的に健康だと思えるのは、彼女から無償の愛を得て育ったからだと思います。

私は兄弟も多く、両親も健在でした。

ただ、親は共働きでしたから愛情を一身に受けたというより親が働く背中を見て育った、という方が正しいですかね。

それはそれで良かったんですよ。
ただ一緒に遊園地に行ったり、遊んだりという思い出はないです。
兄弟や会社の人達が多かったので寂しくはなかったけれど、だからこそ彼女の愛は特別だったのです。

愛情が自信に変わる理由
私が常に持ち続けている自信の根源は「愛されている」ということ。
「愛の力」なんです。

習字がお上手だった彼女からは習字も習いました。
私が10歳位だったでしょうか。
うちは決して裕福ではなかったので、月謝も安くして頂いたのを覚えています。
私が15歳の時に親元を離れ、バレー留学をしていましたが、その頃もずっと文通をしていました。

私がバレーの引退を決断した時も周囲が反対する中、彼女だけが、「あーちゃん、良かったね。やっと、あーちゃんらしく生きられるね」と、言ってくれた事を覚えています。

派手な表舞台だけでなく、裏の部分まで感じ取れる繊細な方でした。
イスラエルの主人と結婚を決めた時も、「あーちゃん、らしいね。大賛成。おめでとう!」
財産も地位もない結婚。見える所ではなく彼女はひとつの命として私の主人を受け入れてくれたんです。
私が彼を受け入れた様に。

子供の命名

ちなみに私の子供の名前を漢字に変換してくれたのは彼女です。
なんせ、私はバレー馬鹿ですから、漢字は弱い。あ、数字も弱いです。

彼女にはお子さんがありませんでした。私としては私の子供と何か繋がりが欲しいと思い、漢字を決めてもらうことにしたんです。

長女はARIEL(アリエル)と言います。(私が主人と決めました)
ヘブライ語ですが、意味は『私の神様』です。
そこで彼女は『有恵留』(神様の恵みが有って彼女に留まる)と決めて下さいました。

次女はLIOR(リオ)です。(これも主人と決めました)
ヘブライ語で、意味は『光を放つ、照らす』などです。
次女がお腹に出来たのが丁度桜の咲く頃でした。
そして丁度その頃父が他界しました。
父に対する思いも込めて彼女が考えてくれたのが『里桜』です。
『上の子は少し難しい漢字が多いからテストの時にそれで時間がかかって困るわね(⌒-⌒)ニコニコ…
だから、下の子は簡単にしたわ。』と、ジョーク混じりに話してくれました。
私よりも遥かに大人の方でしたが、いつまでも少女の様な方でした。

ホームページ 『La AHAVA』の名前の理由
彼女から頂いた贈り物は『愛情』です。

彼女の死を無駄にしない為に。愛の為になにが出来るでしょうか?
そこで私はこのコミュニティーを思い浮かんだのです。

私が頂いたAHAVA(愛)を今度はペイ・フォーワードする時期が来たのかも知れません。
それは、多分一方的に与えるということでなく相手からも愛情を感じて成り立っていくものだと思っています。
それでも、まだまだ勉強中の私。

『あーちゃんらしく』やっていくつもりですので、皆さん、ご支援、ご賛同の程、宜しくお願いします。

合掌   まさこ姉ちゃん、ご冥福をお祈り致します。

あーちゃんより

受容・感謝・愛情

 
 
 

セリンジャーさん(現在イスラエル在住)

劣等感から自信へ、心の自由度を広げてくれた人。

アリー・セリンジャーさん(現在イスラエル在住)1937年ポーランド生まれ
イスラエルで青年期を過ごし、バレーボール選手として活躍。
米国女子やオランダ男子を率いて五輪でメダル獲得。
89年から日本の女子実業団リーグを指導。Vリーグや全日本選手権で優勝。
彼に出会ったのはダイエーに入社して直ぐのことでした。

彼が日本に来た理由

中内社長のアイデアで日本のバレー界を向上させようとアメリカから連れて来られたんです。(写真左が中内さん、中央が私、右がセリンジャーさんです)

もともとと言えば・・・
私が中学の時、ダイエーに合宿に行った事があったんですが、一人の外国人女性に握手をして頂いたことを覚えているんです。

名前は『フロー・ハイマン』大きな体をされていましたがとても優しい顔つきの方だという印象がありました。

フローさんは当時アメリカのナショナルチームからダイエーチームを強くさせる為にもう一人の外国人選手(リタ・クロケット)と来日されていました。
実はこのリタさんとも以前私が中学の時にお会いしていて・・・。

ある大阪のホテルにダイエーの選手が試合前の兼ね合いで宿泊されていて、そこへ私が当時お世話になっていた『フタガミ先生』(手のひらを炭火の熱を使って暖めて痛い箇所にあてるという治療をされる方)がダイエーの選手の治療に来られていました。

私もついでに肩の治療にやってきていたのですが、その時、ホテルのロビーでリタさんが『テンプラハ オイシネ〜』とかたことの日本語でしゃべっていらしゃったのです。
彼女はフローさんとは対照的で活発なイメージがありました。
このお二人はセリンジャーさんの教え子だったんですね。
後で聞いた話ですけど・・・。

ただ悲劇が起こります。

この年のリーグ中にフローさんが心不全で試合中に亡くなってしまいました。
しかも、強敵日立を倒した試合中の出来事だったのです。
フロー・ハイマン選手の死因は、心不全ではなくマルファン症候群に関連する大動脈瘤の破裂と訂正されました。

衝撃は、バレー界だけでなく、スポーツ界、医学界、そして広く世間一般にまで広がったのを覚えています。
セリンジャーさんはフローさんの事を娘のようにかわいがられていましたし、この死をかなり重く受け取られました。

(ハイマンという名前はユダヤ人にもあるようで、『彼女はユダヤ人だったかも知れない』と言われているくらいでしたから)

多分、彼女のことがなければダイエーには来ていなかったとセリンジャーさんからは聞いたこともありましたが、彼が日本で困難に会いながらも頑張りぬけたのは彼女への思いもあった事がよくわかります。

彼のおいたち(朝日新聞の中から) 『ホロコーストが原点』

生き延びる確立は皆無に等しかった。ナチスドイツがユダヤ人絶滅を計画したホロコースト。
600万人のユダヤ人がガス室に送られ、あるいは皆、殺されたとしている。

「目の前で大勢の人たちが殺されました。僕のような子供は真っ先に殺戮(さつりく)の対象になった。でも、恐怖と絶望の中で必死に生きる術を考えた。最も、有効な手段は、あらゆる感情を殺すことでした。」
ポーランド・クラクフに生まれた。
かつてはヨーロッパ文化の中心土地の一つとして栄え、映画『シンドラーのリスト』の舞台にもなった古都である。
ユダヤ人のセリンジャー一家は建設業を手広く営み、街で有数の富豪だった。
一人息子は宝物を扱うように大事に育てられた。

「確かに2歳半まではそうでした。でも、あの不気味な黒い集団を見た時から、私の環境は一変したのです」
収容所の体験は死ぬまで口にすまいと決めていた。
言葉にすれば憎しみが生まれるからだ。

2005年2月に最愛の妻を亡くした。
妻の死が、記憶の底に閉じ込めていた残酷な体験を後世に伝えようと決断させた。

監督として

彼は一人一人の長所を引き出す力を持っていたと思いますね。

本人は『今は70歳だから、若かった頃ほど、若い選手を育てていく根気はないよ』と笑いながら話してくれたことがありましたが、来日された当時はまだ52歳くらいでしたからね〜

粘り強いというか、探究心があるというか、確実にダイエーの選手のレベルが全体的に上がりましたからね。

選手に意見させることを学ばせ、一方的な指導や暴力などは絶対になかったです。
運転免許もとらせ、彼氏もオッケー、お酒もオッケー、24歳からは寮を出て一人暮らしもオッケー。
ただ、自己管理をしっかりしなさいと、選手を大人の考え方に変えてくれたのも彼でしょう。

当時あまり移籍は主流ではなかったものの、多くの選手がセリンジャーさんのもとでプレーしたいとダイエーにやってくる事が多かったのも事実です。

これも印象的に覚えているんですが、シニアの選手や叱られることに不慣れな選手は個人的に呼ばれて叱られることがありましたね。
練習中でも、監督室に入って注意を受けたり。
一人一人の人格を大切にされていました。
まっ、この場合、私は叱りやすかったのか、みんなの前でバンバン叱られていましたけどね。(T▽T)アハハ!
休みの日の過ごし方もバレーのビデオを見て分析する事が多かったですよ。
多分、頭の中の8割いや9割?は『バレーボール』じゃないかって思うくらいです。
本当に、プロの中のプロなんだと思います。
彼を客観的に見た時、やはり指導者として勉強させてもらった事は多いと思います。
日本人の指導者とのギャップが面白かったこともありましたし、新鮮だったんですよね。

私がイスラエルに行って中学生の男の子の監督をした時も『見慣れない変なアジア人』に子供たちが興味を持って、ついて来てくれたのもこのバックグラウンドがあったからだと感謝しています。

ただ、人間として、底力のある人だと思います。バレーも学びましたが生き方を学んだ気もします。

願掛けで京都へ

Vリーグ優勝を成し遂げた年。
偶然にも私と監督と奥さん3人で京都に優勝祈願に行ってたんですね。

ユダヤ人ですからそういった日本の風習に慣れないお二人を引っ張って連れて行ったことを覚えています。
奥さんは京都が大好きだったので、とっても嬉しそうでした。


引退しても

バレーを引退しても色々な意味でアドバイザーになってくれましたね。
私がイスラエルにいる時も何度も電話をかけて来てくださいましたし、セリンジャーさんの娘さんや息子さんにもお世話になりました。

ダイエーの監督を息子さんに引継ぎ、彼は一度、渡米されましたが後に日本のパイオニアのチームの監督に就任。

大阪の方で試合があれば応援に行ってましたし、我が家に遊びに来てくれることもありました。
いつも若々しいセリンジャーさんの言葉は『エクササイズ』です。
『人間、動かなくちゃ駄目だよ!』
常に前向きに生活されているのが印象的です。


ユダヤ人はサボテンらしいですよ。
外見はイガイガ?ハードでしょ?
でも、中身はスイートらしいです。
セリンジャーさんも、そうだと思います。
選手当時は怖かったけれど、それでも、たまに優しさを垣間見る所があったように思います。

彼に魅せられて、ルーツが見たいと思い、イスラエルへ行きました。
そこで主人とであったのも、運命的だと思います。

(相田みつをさんの詩より)

人の世の 幸不幸は 人と人とが 逢うことから はじまる
よき 出逢いを

皆さんとの出逢いを心待ちにしています。

 
 

スイートホーム

やっと出会えた。
私の拠点。
ここからが、『ラ アハバ』の出発です。
2、3年前からずっと一軒家を探していました。

ただ、その頃は主人の永住権がまだだったり、
ローンが組んでもらえなかったり、自分の希望に合わなかったり、
場所が今一だったり何か問題が生じていました。

ところが今年(2007年)に入ってからの出来事でした。
月に一度、ヨーガの勉強会に行っていますが、それから帰宅して新聞の折込ちらしに目をやると、気になる物件が・・・。
早速、不動産に電話をして翌日見に行く事に。

場所はハンター坂を少しあがったところ。
近所に、セリンジャー監督が以前住んでいらっしゃった家があったり、監督の息子さん家族が住んでいらっしゃったマンションがあったりで、見慣れた景色。
物件はそんな所にありました。

震災後、ほとんど人が住んでいらっしゃらなかったみたいだけど、そんな風に見えなかったのは、私だけ?
中はかなり、汚れてボロボロだったんだけど、そんな風に見えなかったのも私だけ?
『すごい、すごい』と言いながら上から下まで見てまわりました。
RCの4階建て。小さな庭もついている。
私より、前に2組のお客さんが見ておられたみたいですが、『古いから、汚れているから』などという理由で帰られたらしい。

そんな中、私が『すごい、すごい』って言ってるもんだから、不動産のHさんは不思議そうな顔で私を見ていましたよ。
直ぐに知り合いの土地に詳しい方にメールをした。
今までは、反対意見もありましたが、今回に関しては『GOサイン』

翌日は主人も一緒に見に行く事に。
見せる前から、わかっていた。
主人は子供の様に、喜ぶやろ。自分でリフォームが出来るって。。(⌒-⌒)ニコニコ…
主人は言いました。
『ぼく、今日からここで寝れる。』って・・・。
思ってたとおりだ。(σ・∀・)σ

さて、ここからです。
物凄いスピードで事が展開していきます。
今まで組めなかったローンが。
組めたのです。

今まで許可が下りなかった金額が。
下りたんです。
でも、今の私の名義のマンションを売らなければ・・・。
売れたんです。

2週間のうちに、色々な展開がありました。
そして・・・購入が決定したのです。

そう、私の考えていた『人の集う場所』が確保出来たのです。
家主さんと契約を交わした日。うちの有恵留(アリエル)の誕生日でした。
本当は前日だったんですが、うちの主人の仕事の都合で翌日に。
それがたまたまうちの子の誕生日だったんですけどね。

でも、さらに偶然が起こります。
契約の書類等のサインが終了し、まず、売主さんにお礼が言いたくて、お礼を言いました。
『ご縁をありがとうございました』と。
実は売主さんはこの物件を売って娘夫婦さんにマンションを購入されるようでした。
その娘夫婦の間にもお子さんがお二人。女の子で。お二人ともうちの子と同級生。す、すごいでしょ?

それだけでは無いんですよ。
もともと、この家を持っていらっしゃった方は今の家主さんのお父さん。

94歳位で病院でお亡くなりになられたらしいのですが、その方が1階で日本舞踊を教えていらっしゃったようです。
(私がヨーガなど教室をしようと考えているスペース)
2階では骨董品屋さんをされていたようで、キッチンや水周りがあってシャピール家が住める環境。

勿論、内装等、全てリフォームするものの、形はそのまま、残すところは全て残して行います。
『この物件に出会った時、私を待っていてくれたような気がしたんです。おじいさんからの贈り物でしょうか?』と伝えたんですね。
そしたら、家主さんが『そうでしょうね。今日は父の命日なんです』と・・・。
感謝しました。

そして大切に良い物を仕上げていく決心が固まりました。


 

<リフォーム中の写真>

1階:ガラスの和紙取り
2階:和室の床抜き、押入れの解体
2階:キッチン周り、友人の工務店がお手伝いに

<2月18日更新>

一階床下全域に炭(竹炭)を敷きました。

夏は涼しく、冬は暖かいと言われていますが、空気の洗浄にもなり、脱臭効果もあります。
シロアリやダニの防止にもなるので色々メリットがあるんですよ。


<3月6日更新>

一階床に床暖を入れてヨーガのレッスン中に底冷えしない工夫をしました。
女性は下半身が冷える方が多いですからね。
通常のエアコンよりランニングコストが低いのも魅力!お湯のパワーです!!
床の素材は桜の木・・・色も主人が選びました。
主人が一日かけてフロアーを敷き詰めてくれました。ありがとう!!

<3月25日更新>

ヨガスタジオに鏡が付きました!
前のオーナーが使っていらしたヒノキの壁はそのまま残しています。

ヒノキでない壁には、珪藻土(優れた結露防止や消臭機能を発揮するとともに、シックハウス等を起こさない安全な珪藻土壁材を使います。

人・動植物を健康に導く空気を室内で作るという優れもの)を塗っていきます。

<4月6日>2007年

スタジオオープン♪
ヨガスタジオ全体がこんな風に出来上がりました。小さな庭が傍にあって緑を感じる事が出来ます。

 

ヨガを始め、インド舞踊、キッズイングリッシュ、バレエ、ピアノ、などなど国際色豊かな交流がここで行われています。
人と人とが繋がる、心と心が繋がる大切な場所であり貴重な時間が流れる空間でもあります。

我が家のシンボル☆玄関ドア
コンクリートむき出しだった寂しかった玄関にグリーンの大きなドアがつきました。
人を迎え入れる大切な場所です。グリーンのドアは主人と満場一致!?で決めました。
『ラ アハバ』にぴったりのドアだと大満足しています。

化粧直し?
外壁にもクリーム色のペンキが塗られ、暖かい感じに仕上がりました。

<1月3日>2008年

看板も出来上がりました!!
やっと教室らしくなったかな??
玄関の上に電灯も付いて夜の生徒さんも温かい明かりが向かえています。

 

天然の木と珪藻土がポイント

玄関入って直ぐの通路にはアハバの商品が並んでいます。
廊下はパインツリーの床と珪藻土の壁で優しく仕上げました。
正面の木の棚も主人の手作りです。

私の好きな相田みつをさんの詩やトトロの置物が飾ってあります。

ちなみに下の見えない部分には掃除機が収納されており、機能が充実した棚です!

毎朝、ここでお香をたいて一日をスタートしています。

木の象さんも(右下)出迎えてくれま〜す☆

 

 

そして私のお気に入りは洗面所ですp(^^)q

奮発してシャワーもつけちゃいました。

トイレにはドアがなく洗面所全体を広くとって一体化しています。

壁紙も優しいピンクの無地と花柄でコーディネートしています(⌒-⌒)ニコニコ…

フロアーはダークブラウンの木目調のクッションフロアーです。

 

更衣室兼、マッサージルーム
暗かった和室が明るく生まれ変わりました。
天井を高く上げてこんな感じに出来上がりました。
金の葉っぱが広がる優しい黄色の壁紙を天井にチョイスしました。
壁はやっぱり、グリーンの珪藻土。
ライトもダウンライトに変えてくれたので、暗くしたり明るくしたりケースに応じて調節が可能になりました。

 

手作りウッドデッキ
外壁傍の溝の部分に主人がウッドデッキを作ってくれました。
今(3月)は寒椿が咲いていますが、季節折々の花を植えたり育てたりが楽しみです♪p(^^)q 
手づくり感満載の『ラ アハバ』です。
友人の家に遊びに行く感覚でお越し頂ければ幸いです。

シャピール亜矢子 プロフィール
ラ アハバへの思い
シャピール亜矢子 活動報告